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東京高等裁判所 昭和38年(行ナ)6号 判決

原告 川口隆三

被告 特許庁長官

主文

昭和三十五年抗告審判第二、七四二号事件について、特許庁が昭和三十七年十一月二十八日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一双方の申立

原告は主文同旨の判決を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二原告請求の原因

一  特許庁における手続の経過

原告は、昭和三十二年八月三十一日、「合成樹脂板」なる名称の考案について、実用新案登録を出願したところ(同年実用新案登録願第三八、五四三号)、昭和三十五年八月二十五日拒絶査定がされたので、同年十月四日これを不服として抗告審判を請求したが(同年抗告審判第二、七四二号)、昭和三十七年十一月二十八日右抗告審判の請求は成り立たない旨の審決があり、その審決書の謄本は同年十二月十二日原告代理人に送達された。

二  右審決は、本願実用新案の考案の要旨を「硬質合成樹脂板の積層間に軟質合成樹脂層を介在させ加熱加圧して融着し一体にした合成樹脂板の構造」にあるものと認定し、抗告審判の手続中に拒絶理由として通知した特許第一二三、八〇七号明細書を引用し、本願の実用新案は、引例の記載されたところから当業者の容易にしうる程度のものと認めたが、その理由とするところは次の通りである。「特許第一二三、八〇七号明細書には、尿素およびフオルムアルデヒド化合物あるいは同効物のような縮合生成物からなる板を酢酸ビニル重合物のような重合生成物の中間層を介在させて加熱加圧して可撓性に結合させることが記載されており、また、上記の尿素およびフオルムアルデヒド化合物の縮合生成物ならびに酢酸ビニル重合物は、それぞれ硬質合成樹脂ならびに軟質合成樹脂として周知のものである。

本願の実用新案と右引例に記載されたところを対比し、硬質合成樹脂板の積層間に軟質合成樹脂層を介在させ加熱加圧して結合させた合成樹脂板の構造である点において一致していることは明らかであり、本願のものが融着して一体をなすことの記載があるのに、引例のものにはこの点の記載がない点に差異があるに過ぎない。

他方、一般に加熱により溶融ないしは軟化する合成樹脂は加熱加圧により互に融着して一体となるものであることは当該技術分野において周知に属するところであつて、このことは先の拒絶理由に例示した特公昭三〇―七、五九四号および同三〇―九九二号公報に記載された合成樹脂積層品の加熱加圧に際しても当然行われているところと認められる。

したがつて、上記の引例のような硬質合成樹脂板と軟質合成樹脂層とを積層して加熱加圧して結合させるに当り、両者が融着して一体となるかどうかはその合成樹脂の性状によつて生起する結合状態にすぎないもので、単に当業者が任意に採択しうる材料に応じて予想しうる効果にとどまり、この差異によつて本願の実用新案が新規な考案を構成するものとは到底認められない。」というのである。

三  しかしながら、本件審決において引用例とされた特許第一二三、八〇七号明細書には、審決に示すような技術内容は記載されていないから、この引用例をもつて本願実用新案を拒絶すべきものとしたのは違法である。

すなわち、右引用例の技術内容は、その特許請求の範囲に記載されている通り、「中間層を構成する基体物質と同一物質の重合生成物にして低あるいは中間粘度を有するものと摂氏百度以上の沸点を有する有機溶済とからなり、該混合物はかかる高沸点の有機溶済を三十五ないし七十五パーセント含有し摂氏百度以下の低沸点の有機溶剤を含有せざる接着剤を高重合ヴイニルアセテートあるいはアクリル酸エステルからなる中間層の両面に過剰に施して、これを被覆板間に挾み全体を摂氏六十度ないし九十度の温度の下に該接着剤がスリツプミーンとして作用するような方法で加圧して接着させることを特徴とする重ね硝子あるいはその類似物製造方法」である。

この引用例における中間層は有機化合物の高分子重合生成物からなるものであつて、引用例の方法は、これを硝子板あるいはその類似物である被覆板に接着させて重ね硝子を作るものであつて、この中間層はそれ自身接着性がないから、これを硝子板等に結合させるために施すべき接着剤について工夫をしたものである。

すなわち、引用例は、実施例によつても明らかなように、低粘度のポリヴイニル、アセテートをメチルグリコールと混合して接着剤を作り、この液に中間層として使用する板あるいは箔を浸漬し取り出したのち二枚の硝子板の間に挾み加熱加圧して重ね硝子を製造するものである。

実施例の末尾には「例えば尿素およびフオルムアルデヒド化合物あるいは同効物の如き縮合生成物からなる箔および板の場合にも前記二例による接着剤は使用したる結果良好なり」との記載があるが、右の記載の意味は、中間層として尿素およびフオルムアルデヒド化合物あるいは同効物の如き縮合生成物からなる箔および板を使用した場合であつても前記の接着剤を使用して硝子板に挾んで接着させるときは良好な結果を得られたということであつて、右の縮合生成物からなる板を前記接着剤を介在させて加熱加圧したことをいうものではない。

以上のように、この引例におけるものは硝子板またはこれに類似する被覆板を接着剤で接着し、加熱加圧して重ね硝子あるいはその類似物を製造する方法であつて、審決の示すような技術内容を有するものではない。

したがつて、この引用例の方法によつて製造された重ね硝子は硬質合成樹脂の両面に接着剤を塗布して硝子板間に挾み接着した構造であるのに対し、本願の合成樹脂板は硬質合成樹脂間に軟質合成樹脂層を介在させ加熱加圧して融着して一体としたものであるから、この両者はその構成を異にする。

しかも、本願実用新案の構造は、硬質合成樹脂板と軟質合成樹脂層とが加熱融着されているのであるから、両者とも熱可塑性合成樹脂であることおよび同系の合成樹脂であつて可塑剤の混合量の多少によつて硬質の差異を生じさせたものであることを要件としており、これによつて、柔軟弾性と屈撓性が与えられ、衝撃緩和、破損防止、折曲加工性、伸延性および保形性を増す。これに対し引用例の被覆板は主として硝子板であり、有機硝子として尿素樹脂が用いられることがあつても、尿素樹脂は熱硬化性合成樹脂であるから加熱しても軟化することなく、接着剤や中間層との間に融着はしないで、単に貼着するに止まる。このような構造では本願の構造によつて得られるような特性を得ることはできない。

したがつて、本願考案をもつて、引例の記載事項から当業者の容易になし得る程度のものとした審決は違法である。

第三被告の答弁

一  原告請求の原因第一、二項の事実は争わない。第三項の主張は否認する。

二  本件審決においては特許第一二三、八〇七号明細書を引用したが、右引用例は、重ね硝子あるいはその類似物を製造するに当つて、高分子の中間層を使用することがすでに知られたところであることを前提とし、このような重ね硝子等の製造に当り、原告の主張するような特殊の接着剤を用い、これによつて高分子重合生成物からなる中間層と被覆板とを可撓性に結合させるものである。

そして、右の引用例は、被覆板として用いられるものとして、硝子のほか、その類似物を挙げているが、その類似物のうちには、尿素およびフオルムアルデヒド化合物あるいは同効物のような縮合生成物からなる箔および板を挙げているものと解すべきである。

すなわち、右の化合物はいわゆる尿素樹脂であつて、その透明性から硝子類似物としてつとに壊れない硝子あるいは有機硝子として知られていたものである。

しかもこの引用例において中間層として使用されるものとしては、その特許請求の範囲に記載された、高重合ヴイニルアセテートあるいはアクリル酸エステルからなる板あるいは箔であつて、接着剤の主体となるものはこの中間層を構成する基体物質と同一物質の重合生成物であると解すべきである。

したがつて、「尿素およびフオルムアルデヒド化合物あるいは同効物のような縮合生成物からなる箔および板」という記載をもつて、原告主張のようにこれを中間層としたものと解すべきものではなく、硝子の類似物として使用することを示すものと解すべきものである。

以上のように、右の引用例において示された技術内容から、本件審決に示された周知の技術を用うるときは、本願の実用新案をもつてしては、旧実用新案法(大正十年法律第九七号)第一条の考案を構成しないと認めるのが相当である。

第四証拠関係〈省略〉

理由

一  特許庁における手続の経過および本件審決の内容については当事者間に争いがない。

二  その成立に争いのない甲第十一号証の記載によるときは、本件審決において引用例とされた特許第一二三、八〇七号明細書は、ドイツ国在住のアドルフ、ケムフアーが「重ね硝子あるいはその類似物製造方法の改良」という名称の発明について昭和十年十一月六日、ドイツ国に西暦千九百三十五年四月十二日出願したことによる優先権を主張して特許出願をしたものであり、この出願は昭和十二年十一月十七日に公告され(同年公告第四、三八六号)、昭和十三年二月十八日登録されたものである。

そして、この発明は、二枚の硝子を重ね合せるに際し、中間層としてポリビニルアセテートまたはポリアクリル酸エステルを使用することにより、これらの中間層の柔軟性ないし強靱性によつて優秀な強化硝子を得ようとするものであるところ、一般に、重ね硝子を製造する場合には被覆板が破壊されるようなときにも、その破片を保持するに充分な接着力を有する重合生成物を使用するのが常であるが、従来の接着剤を用い、同時に、スリツプミーンとして油状の液を使用するときは、この油状の液のために接着力が弱められ、接着剤が破片を結合させる性質は甚しく侵されるので、この発明においては、中間層として前記物質を用い、接着剤としてこの中間層を構成する基体物質と同一の物質である重合生成物であつて、しかも低または中間粘度を有するものと、摂氏百度以上の沸点を有する有機溶剤三十五ないし七十五パーセントを含有し、摂氏百度以下の低沸点の有機溶剤を含有しないものを用い、この接着剤を中間層の両面に過剰に施し、これを被覆板間に挾み、全体を六十ないし九十度の温度で接着剤がスリツプミーンとして作用する方法で加圧接着させる方法を提案したものであつて、その実施例として、二つの例を挙げたのち、尿素およびフオルムアルデヒド化合物あるいは同効物のような縮合生成物からなる箔および板の場合にも前記二例による接着剤を使用した結果が良好である旨が記載されている。

三  当事者間に争いのない事実によれば、本件審決は右の引用例のうちに、「尿素およびフオルムアルデヒド化合物あるいは同効物のような縮合生成物からなる板を酢酸ビニル重合物のような重合生成物の中間層を介在させて加熱加圧して可撓性に結合させること」が記載されている旨認定しており、審決に示されたその他の理由とを綜合してみるときは、審決は前記引用例に記載された「尿素およびフオルムアルデヒド化合物あるいは同効物のような縮合生成物からなる箔または板」が被覆板として用いられているものとして挙げられているものと判断していることは明らかである。

四  そこで、本件審決において引用された特許第一二三、八〇七号明細書(甲第十一号証)に記載された「尿素およびフオルムアルデヒド化合物あるいは同効物のような縮合生成物からなる箔または板」が中間層として用いられるものとして挙げられているかあるいは被覆板として用いられるものとして挙げられているかについて判断するに、さきに挙げた引用例である特許第一二三、八〇七号明細書の記載からすれば、中間層としては高重合のビニルアセテートあるいはアクリル酸エステル以外のものは特許請求の対象としていないと解することができるが、他面、前記尿素およびフオルムアルデヒド化合物あるいは同効物のような縮合生成物については、これを板としてだけではなく、「箔及板」として使用する旨の記載からすると、明細書の記載のうちの他の部分において用いられている「板或ハ箔」という表現がすべて中間層に関する記載であることから考え、右にいう尿素およびフオルムアルデヒド化合物等の縮合生成物はこれを中間層として使用する場合の記載であると解するのが相当であり、ただ接着剤としてこれと同一物質ではない、実施例記載のものを使用するものと解するのがもつとも自然である。

以上のように解するときは、前記縮合生成物を中間層として用いる方法は、引用例の特許請求の範囲に記載されない方法であることに帰するけれども、たまたまそのような記載があるとしても、これをもつて直ちに被覆板と解さなければならない理由はないし、ほかにそのように解すべき積極的な根拠も見当らない。

もちろん、尿素樹脂が硝子に類似する物として用いられることは原告も明らかに争わないところであるけれども、そのことの故をもつて、前記特許明細書の記載をもつて、被覆板に関する記載と解する根拠にはならない。

五  本件審決は前記の通り、引用例として挙げたものが前記縮合生成物を被覆板として用いているものであることを、その前提としているところ、その前提が誤つていることは以上判示した通りであり、しかも、このほかこの引用例のうちに、本願実用新案の考案性を否定するに足りる技術内容が示されているとみるべき主張も立証もないから、結局、この引用例をもつて本願の実用新案の考案性を否定した本件審決は、その審理を尽したものということはできないので、取消を免れない。

よつて、原告の請求を正当としてこれを認容し、訴訟費用は行政事件訴訟法第七条および民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 山下朝一 多田貞治 田倉整)

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